福島印刷はおかげさまで明治36年5月(1903年)の創業から数え今年で創業119年を迎えております。翌年の明治37年には日露戦争がおこった時代です。 |
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第2師団 新発田第16連隊・軍旗拝受50周年記念軍旗祭の仮装行列。福島印刷が創業した場所である現在の新潟県新発田市大手町2丁目とその周辺は、当時「西ヶ輪」と呼ばれ、現在の陸上自衛隊新発田駐屯地には、歩兵第十六連隊がありました。 |
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「西ヶ輪(にしがわ)」は溝口候の築城当時の西曲輪(にしくるわ)が訛り、つけられた町名だと言われています。江戸時代の西ヶ輪には郡奉行・町奉行をはじめ多くの、上・中級武士が住んでいました。 |
新発田16連隊凱旋祝アーチ飾り。向かって左側手前から大森そば屋の屋台、末広、渡辺提灯屋。右側電柱前が、川上肉屋、梶浦医院。奥は連隊方向。(敬称略) |
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明治になってからは歩兵第十六連隊の営門前通りとなり、十六連隊相手の商店が軒を連ね、アーチ型の街灯が新発田の夜を彩るようになりました。 |
そんな中、私達福島印刷の前身である福島新太郎商店は、現在も福島印刷のあるこの場所で、連隊の御用商として創業します。御用商としての仕事は「よろず引き受け」的なものでした。仕事内容は物品調達、隊舎のストーブの取付け取外しやお堀の江浚えなど、多岐に渡っていたようです。 連隊がおかれてから、新発田には県内外から来た多くの軍人とその家族が住むようになります。連隊の兵隊数は三千人以上と考えられ、新たな入営者は年間七百〜九百人だったようです。 |
前列向かって右端は佐藤会長、後列向かって左側より二人目が二代目福嶌新太郎 |
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入営は二年間で、その後除隊となりました。除隊は七月と十一月の年二回で、その時、記念品や土産物を買って、郷里へ帰っていきました。 風呂敷、手ぬぐい、タオル、盃、おぼん、茶器、軍服、靴、トランク、和服、洋服など大部分は兵営前通りの西ヶ輪で購入。商店街図のように商店街ができあがりました。 |
連隊への納品はいくつもの「通い箱」に入れられ行われていました。 箱の横には「印刷と軍用品 福島新太郎商店」と書いてあります。 この「通い箱」はなんと紙でできています。(北越製紙のFIBRE使用)とても丈夫な箱で、66年たった現在でもりっぱに使えます。 |
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