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新潟県新潟市・新発田市の印刷会社・(株)福島印刷のブログです。

2003年からの・・・

私の携帯の機種変更ができるか調べていた家人が、「携帯のコンテンツ料取られてるよ」と言いました。
できれば携帯は持ちたくない私。離れて暮らす両親や姉との連絡用に、しぶしぶ持ち続けていて、通話とメール以外の機能は求めていません。料金明細も、総額が少ないので、あまり注意を払っていませんでした。
家人の調べによると、コンテンツ料を取られているのは、2003年秋以降、3つのサービス。そういえば、出張先で調べ物ができず、やむなく携帯で時刻表や乗り換え案内が検索できるサービスに加入した記憶が。月数百円ほどで、すぐに解約しようと思い、忘れていました。
月々数百円×12カ月×7年=・・・。
2003年からのコンテンツ料。一体、無駄なお金をいくら使ってきたのか、自分に呆れてしまいました。
それ以降、ほとんど携帯でネットをしないので、気付かなかったというわけです。
あくまで不注意な自分のせいですが、加入後にメール等で通知・連絡がくるわけでもなく、なかなか気付きにくいこの仕組み。あなたは大丈夫ですか?
日々つれづれ日記
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無作為からの発見

という小難しげなタイトルの割には素朴な話です。
新潟市内に住む友人の強い勧めで、幼児食の本を1冊買いました。料理の本を買うのは久しぶりでした。
というのは、複数のインターネットの料理サイトのヘビーユーザーとなり、料理の本を買うコスト、本棚に占めるスペース等が少々、惜しくなっていたからです。
作りたい目当てのメニューのレシピを検索すれば、まず情報がないということはありません。今は伝統食のレシピも増え、「うちの料理上手のおばあちゃんの○○」などというメニューも散見されます。
しかし目的をしぼった情報は簡単に得られるものの、そうでない「無作為」からの発見が少なくなっていることに、この本を読んで気付きました。料理サイトを見ているだけではあまり気付かない、あまり関心を持っていなかった幼児食の理念や効率よく家事を行うポイント等に言及され、面白かったのです。
その気分をたとえるなら、ネットで目的の本を買うだけでなく、たまには本屋をぶらついてみることの大切さに似ていると思いました。
つい興味関心をしぼった状態で、情報の「一点取り」をしているのではないかー
ネット中心の自分の環境にそんなことを思いました。
日々つれづれ日記
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アリさん来訪

昨日、床ふき掃除をしていたら、ぎょっとする数のアリの大群が、家の中を行進していました。
去年もこの時期に、玄関わきからゾロゾロと侵入し、テープでふさいでもダメ。かといって何をするわけでもないのに巣ごと殺傷するのも後味が悪く、放っておいたらいつの間にかいなくなりました。
しかし今回は、いつの間にかいなくなるのを待てない数。
とりあえずビニル袋に集めて外に放すーを繰り返していました。
家人は最初「入ってきたんだから、そのうち出ていくんじゃないの」と言っていましたが、絶望的な私の様子を見て、ネットでいろいろ調べたところ、梅雨の時期に家の中にアリが増えるのはよくあることだそうです。新潟も梅雨にさしかかり、アリも暖かくて動きやすいのでしょうか。
灯油をしみ込ませた布で床をふくとか、プチプチ殺していくと「危険エリア」とアリの仲間の中でマーキングされていなくなるーとかネットにはいろいろな情報があったそうですが、とりあえず家の中を大掃除しました。
侵入経路の一つだった冷蔵庫の後ろには、ぎょっとするくらいごみがたくさん。
思いがけず家の中がピカピカになりました。
これもアリのお陰ーと感謝しつつ、でも侵入防止スプレーをところどころに吹きかけて、様子を見ています。
日々つれづれ日記
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供花

何年か前から、仏壇やお墓に供えるお花にバリエーションが出てきたように思います。
多くは日本の場合、供花=仏花であり、主に和ギクを中心とした花々でしたが、近年はスプレーギクを始めとした洋風ギクのほか、バラやカーネーションなどもよく墓地などで見かけます。
故人が好きだったお花を供えるのもまたよし、という風潮に加え、和室の減少、仏壇のインテリア化、洋風化など生活様式の変化も一因だと、花売りの人に聞いたことがあります。従来の和ギクを中心としたいかにも「仏花」は、日常的に家にあるには辛気臭く感じる人もいる、とも聞きました。
私は墓参に行くときは、墓地にしっくりくる気がしてほぼ仏花のセットを選びますが、そうこだわりはなく、時々、目についた季節のきれいな花を買うこともあります。
そんなことを考えながら、先日の主人の祖母の命日には、芍薬をお供えしました。濃いピンクというか、紫というか、鮮やかでとてもきれいです。写真でしか知りませんが、華やかで芸事がとても好きだったという主人の祖母に、「立てば芍薬」のイメージで飾ってみました。供花も先祖との会話のように思うと、ちょっと楽しみが増します。
日々つれづれ日記
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スケートボード

義父が最近、スケートボードを始めました。
70代です。
もともと、何でもスポーツのできる人で、いろいろ挑戦して楽しんでいるようですが、よもやボードとは。
私の中で、ストリートファッションの若者が、公園の空きスペースなんかでやっているイメージがありますが、そういう偏見を持たず、そのままの心でやってみたいことをやる姿勢に頭が下がります。
30代を過ぎたあたりから、人生は「初めての○○」という経験が段々少なくなります。新しいことに挑戦するにはエネルギーがいるので、それ相応のモチベーションがないとできないということもあります。
だからこそ、意識的に何か新しいことに挑戦したいとは思っていますが、そういう構えがなく、あくまで自然なのがいいな、と思いました。
義父の腕には転んでできた擦り傷がいくつか。照れくさそうに傷をなでる姿を見て、こんな70代になりたいな、と思いました。
日々つれづれ日記
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漢字学習

29年ぶりに常用漢字の見直しが行われたーというニュースを聞きました。
報道によると、「手書きの重要性を認めつつ」「すべて書ける必要はない」として、パソコンなどで登場する頻度の多い漢字が盛り込まれたーとのこと。
「認めつつ」「必要はない」−一体どっちなんでしょうか。
学校教育現場でどう教えていくのか、すでにいろいろな議論が始まっています。私が小学校5、6年生のとき、担任だった若い女性の先生の方針で、毎日漢字を1−5個分ぐらい、1字につきノート1ページ分を使って、成り立ち、書き順、意味、使い方を書く宿題が出ていました。いわば、自分のノートにミニ辞書を作るわけで、当時は面倒だと思っていましたが、今もってあのときの宿題には感謝しています。お陰で漢和辞典が好きになり、今でもわからないことがあると、国語辞典よりも先に引きます。
ドリルなども漢字を単純に覚えるには役立ちますが、意味や成り立ちを知ることが応用力をつけ、漢字に対する興味をふくらませてくれます。
例えばアブラミは水(さんずい)ではなく、肉(にくづき=月)だから油身ではなく、脂身。そんな調子で、漢字は暗記科目ではないと知ると、面白くなりました。
もっとも、今は「アブラミ」とパソコンで打てば「脂身」という字が出てきます。パソコン時代の学習はまた違ってくるのかもしれないと思うと、ちょっと寂しい気がします。
日々つれづれ日記
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二世帯同居

ママ友、と言うんでしょうか。息子を通じて知り合った若いお母さんと話す機会がありました。
結婚してすぐに、旦那さんの両親と兄弟と同居し始め、働きながらみんなの食事の支度はもちろん、夫の兄弟のお弁当まで作っている話でした。
彼女はイマドキの若いおねえちゃんで、「もー子育てチョータイヘン。ムリ―」みたいな感じの人ですが、なんのかのといいながら「そういうものだ」と思って夫の家族と一緒に暮らしている姿に、偉いなあと思いました。
新潟に来て、結婚した直後からすぐにご主人の両親と同居する人が多いのに驚きました。
若くして結婚して共働きをし、子育てを夫の両親にバックアップしてもらうという事情もあるのでしょうが、家族の結束の強さが背景にあるように思います。
都市部に限らず、わずらわしいことからはできるだけ逃れたい人が多い今の世の中で、新鮮にすら感じました。
いつも夫の両親と一緒だと、日曜日の朝に寝坊してのんびりしたり、時々はパンを買ってきて簡単に食事をすませたりできないのかな、と些末なことを心配する私。彼女のような人は、本人の意識していないところで、いろいろなことを乗り越えている気がします。
日々つれづれ日記
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空港でコンサート

最近はホテルや病院、自治体の庁舎などさまざまな場所で無料のコンサートが開かれるようになりました。
もちろん事前にPRして集客を図る場合もありますが、どちらかというと、こういった場所でのコンサートはわざわざ出かけていくというよりは、たまたまその場所にいた人を楽しませるという性格が強いように思います。偶然、コンサートに居合わせた人には、思いがけないプレゼントをもらったような喜びがあります。
多くは開放的な空間であることが多く、それが意外と音響効果を高めたりするのも楽しみです。
一度、居合わせてみたいと思うのが、空港のロビーコンサート。最近では各地で行われるようになりました。以前、北の街でクリスマスに空港ロビーコンサートをやっているニュースを聞き、どんなにか雰囲気のあるものだっただろうと思いました。
しかし私が帰省でよく利用する福岡空港は、月一回、金曜日の開催。帰省するときは混雑を避けるので、なかなか機会がありません。その上、新潟と結ぶ便は夕方から夜にかけてで、コンサートの開かれる昼間に居合わせる可能性はかなり低くなります。
毎回、クラシックはもちろんボサノヴァからジャズまでさまざまな地元アーティストが登場するもので、一度ぜひと思っていますが、コンサートに合わせて移動するのはちょっと違う感じがしています。サプライズが空港のコンサートのだいご味ーそう思うとなかなか縁がありません。
日々つれづれ日記
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短歌はじめました

短歌を作り始めました。
もともと、言葉の表現体として興味がありましたが、「サラダ記念日」を読んだことがある程度。
それが最近、ネットで大宰府をテーマとした作品を目にし、試しに返歌の形で自分で作ってみたら、これが結構面白かったのです。
短歌を作る目になると、周囲の風景が変わるのが新鮮でした。視覚でとらえる風景や思いが31文字で表現できたときの、パズルがはまる感覚が気持ちいいものです。
語句の活用変化も曖昧なことがままあり、「短歌仕様の語彙」がそもそも少ないこともあって、言いたいことが出てこないもどかしさも感じますが、子供の相手をしながら紙とペンを手元に置いていることが多くなりました。
歌意を測りかねるモダニズム系も面白いですが、新潟市出身の会津八一のように、頭の中に情景がくっきり浮かび、目にする人の時間空間を超えさせる作品が、個人的にはお好みです。
実家に帰ってきて作ったのはこんな歌。「ふるさとの 空気に触れし わがほほは 雄弁にして すべらかなりけり」
失礼しました。
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故郷の風景

新潟市から約1000キロ、飛行機と新幹線を乗り継いで、瀬戸内にある実家に帰りました。
新緑の季節、見るものすべてが躍動しているような感さえあります。
新潟をはじめ、日本海側の厳しさに耐えているような自然も風情があって美しいですが、瀬戸内には陽気な男性のような開けっぴろげに明るい雰囲気があります。広葉樹が多いせいでしょうか、自然を表現するにはナンセンスかもしれませんが、同じ緑でも妙に福々しいのです。
住んでいた18歳までは、ただの田舎町にしか思えませんでしたが、ほかの町、ことに都市部に住んで、却って良さが分かってきたように思えます。
昔、子ども会の当番で、水やりをしていた花壇が、変わらぬ美しい花を咲かせていました。管理しているのは、少子化を反映してか、老人クラブになっていましたが、夏の日の夕方、ホースを引っ張って水をまいていたことを思い出しました。
時々、立つ位置を変えると、見ている空間だけでなく、時間の軸も変わります。そこでの発見は、またもとの位置に戻ったときに思考の幅や視点を変えてくれる−帰省ひとつにちょっと大仰ですが、そんなことを考えました。
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