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新潟県新潟市・新発田市の印刷会社・(株)福島印刷のブログです。

玄関の施錠

新潟市近郊の町に住んで、ずっと気になっていたことがあります。
訪問客がチャイムを鳴らすとすぐに玄関のドアを引いて開けようすることです。
当然、いつも施錠しているので、ドアがガタガタと鳴ります。
最初は義母で、訪問がわかっていることが多いので、開けておけという意味かと思いました。
しかし生命保険の外交員の人もガタガタ、銀行のセールスの女性もガタガタ、ガタガタという音が似合わない、品の良い年配の知人女性も然り。
年齢を問わず、しかも女性に限ってガタガタと開けようとします。
私の感覚だと、チャイムを鳴らして、人が出てきてドアを開けてくれるのを待つか、中からどうぞと声が聞こえたら開けるか、だと思うのですが、どうやらそうではないのです。
つい最近、新潟市近郊の農家の方に「ここは町だから玄関を閉めているんだね」と言われて、もしかして玄関の施錠をする習慣がない人が多いのかと初めて思い当たりました。
地域性に加えて、私の極めて狭い範囲の統計によると、玄関が引き戸である人ほど自分が開けておく習慣があるので、他人の家を訪問しても開いているものと思って、すぐドアを引いてしまうようです。
そういえば、長年一人暮らしをしていたのですっかり忘れていましたが、私の実家も玄関はいつも開いていました。
治安がよくなくては玄関は開けておけません。
そう思うと、チャイムが鳴る度にすぐに鳴るガタガタという音も、違って聞こえてきます。
日々つれづれ日記
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続・断捨離

不要なものを捨て、モノへの執着を放ち去り、心の掃除をするー断捨離。
単なる整理術というだけでなく、人生観、価値観を変えると話題です。
先月下旬に引き続き、また我が家でも片付けを断行しました。
台所は使用頻度を見直し、あまり使わないものは高いところへ、あるいは二階や踏み台の必要な収納へ、と分類。不要品も思い切って処分して、かなりすっきりしました。
続いて書棚。毎回迷うのが手紙の処遇です。以前、一定期間、保存したら処分すると言ったら、姉に「手紙を捨てるの!」と非常に驚かれました。
かといって全部取っておいたら段ボールがいくつあっても足りないし、と考え込んでいたら、家人が「スキャナして取っておけば」と提案。
いい考えだと一瞬は思ったものの、しかし手紙というのは文面を記録しておくために保存するのではないはず。もちろん内容を後で読み直して、思いにふけるということはあるにせよ、手紙という感触が残っていることが大事なような気がします。果たして画面上のフォルダにきれいに分類された手紙を読んで、求めている読後感が得られるのか、という気もします。
逡巡したあげく、保存方法自体を保留にし、分類してまとめておきました。
きっぱり決断するのが断捨離だとするならば、まだまだ道半ばです。
日々つれづれ日記
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花嫁人形

新発田市内を車で走っていると、花嫁人形合唱コンクールののぼりがあちらこちらに見えました。
新発田市出身の挿絵画家、蕗谷虹児の作詞した唱歌「花嫁人形」を課題曲としたコンクールです。
コンサートの存在そのものは知っていましたが、そういえば毎年秋だったな、とネットで詳細を見てみました。
今年は17日の開催。エントリーしている団体が、新潟市近郊だけでなく、県外にも及ぶことを知り、驚きました。もちろん県内が大半ですが、東北や神奈川、東京の団体も参加するようです。
蕗谷虹児といえば吉屋信子の小説と合わせて思い浮かび、大正の華やかな文化の香りがします。「花嫁人形」の歌詞と合わせてしっとりとした画風が思い出され、久々に絵も見たくなりました。
コンクールは子供を連れていけないので、なかなか聞く機会がなさそうですが、各地の人々が歌う「花嫁人形」、ぜひいずれ聞きたいと思っています。
日々つれづれ日記
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風邪の治し方

家族三人、風邪気味です。
息子は一歳にして、初のそれらしい風邪。
とはいっても、熱はなく、鼻水をズルズル。三日ほど前には大食漢の彼には珍しく食が少し落ちて、くず湯を作るという初めての経験をしました。フルーツを入れたくず湯もヨーグルトもぺロリでしたが。
息子の風邪はすぐよくなり、今度は家人。家人は結婚する前、季節に1、2度は大風邪を引いて寝込んでいたそうですが、最近はかなり健康になったもよう。
「風邪は抗生物質を飲んで、肉を食べて治すものと思っていた」と斬新な考えを持っていたようですが、最近はしょうが湯を飲んで寝ると、お医者さまのお世話にならずとも回復するようです。
私も鼻水と多少の頭痛がしていました。こういうときは公然と家事から手を抜けるようで、それは魅力的なのですが、たまたま週末に食材を買いこんだ後でもあり、余らせないためにいつも通り台所に立つことに。息子の好きなもの、家人に温かいもの、と作っていると、結局さぼれないまま風邪は快復兆候です。
こうやって人のために働くのも、ひとつの風邪の治し方かもしれません。
日々つれづれ日記
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餃子を買いに

新聞販売店の作るミニ新聞に載っていた餃子を買いに、新潟市秋葉区まで行きました。
中国出身の女性の方が作っておられるそうで、確かにおいしそう。
目的地までは小一時間もかかりますが、おいしいもの好きの家人の運転でドライブがてら行きました。
住宅街の中にあり、カーナビなしではたどりつくのもちょっと難しかったかもしれません。
家人が買う間、車の中で待っていましたが、女性の温かい笑顔が印象的でした。
そして購入した野菜餃子と海鮮餃子は、ジューシーでとてもおいしかったです。以前、中国レストランで食べた味を思い出しました。
夕食にはほかにゴーヤで一品、それにキムチとエビの炒め物を作ったのですが、完全にかすんでいました。
その餃子は秋葉区周辺の道の駅でも売っているとのこと。また遠征の機会がありそうです。
日々つれづれ日記
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再び、1000キロの旅

再び1000キロの旅をして、帰省先から自宅へ帰ってきました。
新幹線で博多に出て、空路新潟へ。
行きは新幹線と飛行機の接続が悪く、1時間以上博多駅で待ったので、ドアツードアで考えると7時間半近くかかりましたが、帰りは早めに実家を出ても6時間弱。飛行機に乗っている時間も15分ほど短く、とても楽です。
息子は1歳で、家人と交互にひざに抱いていますが、自由に動けないのが不満らしく、目の前に挿してある機内誌を引っ張ったり、キャビンアテンダントさんにもらったおもちゃを投げてみたり。周囲の方にも申し訳なく、大人だけで乗るとあっという間の飛行機も、ずいぶん長く感じます。
それでもこの旅の楽しみのひとつは、福岡空港でのお土産屋さんめぐり。
おいしいものに目がない家人は明太子と長崎の老舗がつくるカステラ等を手にしてご満悦でした。
そして旅の最大の楽しみは、帰りに父が持たせてくれる手作りのお弁当。
帰って買い物や食事の支度を何もしないで助かる上、おいしくていつものように家人と先を争って食べました。
そのうち息子が食べられるようになると、この量では足りません。
ちちのお弁当
日々つれづれ日記
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祖父の法要

実家で祖父の33回忌の法要が執り行われました。
法要といえば、子どものころは正座に長い話と、それ自体が苦行のように感じていましたが、大人になってみると、違った感慨があります。
実家は曹洞宗で、「般若心経」には子どものころから親しんでいましたが、久しぶりにお経本を広げて読むと、昔はひらがなでしか認識せず、音からのイメージしか持てなかった語句が、漢字表記と少しばかりの背景知識によって、意味を伴い、くっきりと形を表してきます。ひらがなで理解し、子ども心に面白い音に感じられていた言葉が、生や死について深い真理を語っていたことに気づかされます。
物ごころつく前に亡くなった祖父の記憶は全くなく、にこやかな遺影の写真一枚でしか、私は祖父を知りません。それを小さいころから残念に思っていましたが、法要では久しぶりに顔を合わせた親戚から祖父の思い出を聞き、自分なりに人物像を描きました。エピソードもそうですが、日常の些細な言動について聞くと、生前の祖父に少しだけ近づき、そこにつながる自分が見えてくる感じがします。
亡き人を悼み、自分の生を省みる。
ご住職の言葉を、自分なりにかみしめています。
日々つれづれ日記
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父の古希祝い

新潟から1000キロ旅をして、実家に帰省中です。
祖父の法要のためですが、今回は関西在住の姉夫婦とともに、父の古希祝いをしました。
プレゼントはホームベーカリー。
料理好きの父は、今でも第二の職場で働きつつ、台所を担っていますが、各種ボランティアや地域のお役に、あきれるほど忙しい日々。
長年、パン作りには興味を持っているものの、なかなか挑戦する時間がないというので、とりあえずホームベーカリーに助けてもらうことにしました。
これでおいしいパンを食べて、長生きしてもらおうと思います。
お祝いの食事は、父の指示で私と姉が作りました。
手順ひとつにもこだわりがあるので、厳しいお姑さんに指導を受けるのはこういう感じだろうかと思ったりもしましたが、今、多少なりとも自分が料理や食にこだわりを持っているのは、父のおかげのようにも思います。自宅で台所に立っているときも、教えられたことをよく思い出します。
ところで、お祝いの席で、1歳の息子は私の母のまねをしてしきりに万歳や拍手、合掌をし、場を盛り上げていました。そのサービス精神が、伝え聞く家人の子どものころを彷彿とさせました。
帰省するたびに、家族の確かなつながりを感じています。
日々つれづれ日記
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断捨離!

ここ2、3日、家中の不要品を片付けていました。
最近は「断捨離」といって、ちょっとしたブームです。
「断捨離」とはヨガの行法哲学から来る言葉で、不要なものを捨て、モノへの執着を放ち去り、心の掃除をするーといった意味で使われているようです。
さて、掃除を始めてみると、できるだけ不要なものは持たず、買わず、シンプルに暮らそうと思っているのに、いつの間にかモノが増えていました。
台所では数年前にベーグルを焼いたきり使っていなかった全粒粉が変色。
クローゼットでは、何年も「来年は着るかも」と思って取っておいた服がひと山。いつもはよくわからないので放置している家人の服にも手をつけ、ほとんど着ないまま首まわりがサイズアウトしてしまったカッターシャツ類を発掘しました。
リサイクルショップで引き取ってもらえるものは引き渡し、比較的きれいな紳士物は、路上生活者の支援団体で寄付を受け付けているというので、そちらへ送りました。
先日経済紙で読んだ記事に載っていた、断捨離専門家(?)のクローゼットは、幅1.5メートルほどのラックに洋服が何着かすっきりおさまっているのみ。シーズンごとに少ない何枚かを着て、季節が終わると処分するということでした。
そこまでの域には達せられず、簡単にモノを捨てることにはちょっと抵抗もありますが、できるだけシンプルに生きたいと、捨てる痛みを味わうとなおさら思います。
日々つれづれ日記
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ダムコンサート

新潟市のお隣、新発田市の内の倉ダムで10月16日にコンサートが行われる、という記事を読みました。
内の倉ダムは全国でも珍しい中空重力式ダムで、中に約500人が収容できる空洞があるとのこと。
その中で毎年、シンセサイザーや民謡など、地域のグループ、演奏家らが出演するコンサートを開いているということでした。
この場合は人工ですが、自然の残響を利用するコンサート会場といえば、山口県の鍾乳洞を思い浮かべます。
私は閉鎖空間が苦手なので、ちょっと足を運ぶにはためらいがありますが、あいさつの声も聞きとれないほどよく響くといいます。
自然の中で聞く音楽には、特別の風情がありそうです。
それにしても、地元の思いがけないところに、「全国でも珍しい」があるものです。内の倉ダムの近くには行ったことがありますが、そんな特徴を持つとは知りませんでした。
日々つれづれ日記
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