お弁当
2009.12.04 Friday 15:37
一人暮らしをしていたころ、実家から居住地へ帰るとき、毎回のように父が「弁当持っていくか」と聞いたものでした。
たいていは、朝早く実家を出て帰っていたので、朝ごはん、もしくは昼ごはんにという親心。でも、適当に食べる、とほとんど断っていました。
弁当箱を下げて長い時間旅するのが億劫だっただけでなく、お弁当の持つ愛情の重さがちょっと苦手だったのかもしれません。何にも縛られず、お腹が空いたらコンビニでも売店でものぞけばいい、そんな気持ちでした。
それが今では、よほどのことがない限り、外で買ったものを食べることがなくなりました。赤ん坊連れで出かけることが多いせいもありますが、外で食べざるをえないときも弁当持参。ポットに入れたお茶とコップもバスケットに入れてよく持ち歩きます。
使い捨てが楽であり、その身軽さがかっこいいことのように思っていましたが、そんなてっとり早い生活には逆に疲れてしまったように思います。今の方が何となく、毎日を大切に生きている気になります。
先日、西日本から新潟市を訪れた父が帰る際、自分で作った弁当を渡しました。
父はそれこそどこかで買うか、自宅に帰って食事を取ろうと思っていたかもしれませんが、急いで過ぎし日の罪ほろぼしをしたい心境でした。
たいていは、朝早く実家を出て帰っていたので、朝ごはん、もしくは昼ごはんにという親心。でも、適当に食べる、とほとんど断っていました。
弁当箱を下げて長い時間旅するのが億劫だっただけでなく、お弁当の持つ愛情の重さがちょっと苦手だったのかもしれません。何にも縛られず、お腹が空いたらコンビニでも売店でものぞけばいい、そんな気持ちでした。
それが今では、よほどのことがない限り、外で買ったものを食べることがなくなりました。赤ん坊連れで出かけることが多いせいもありますが、外で食べざるをえないときも弁当持参。ポットに入れたお茶とコップもバスケットに入れてよく持ち歩きます。
使い捨てが楽であり、その身軽さがかっこいいことのように思っていましたが、そんなてっとり早い生活には逆に疲れてしまったように思います。今の方が何となく、毎日を大切に生きている気になります。
先日、西日本から新潟市を訪れた父が帰る際、自分で作った弁当を渡しました。
父はそれこそどこかで買うか、自宅に帰って食事を取ろうと思っていたかもしれませんが、急いで過ぎし日の罪ほろぼしをしたい心境でした。