祖父の法要
2010.09.26 Sunday 03:33
実家で祖父の33回忌の法要が執り行われました。
法要といえば、子どものころは正座に長い話と、それ自体が苦行のように感じていましたが、大人になってみると、違った感慨があります。
実家は曹洞宗で、「般若心経」には子どものころから親しんでいましたが、久しぶりにお経本を広げて読むと、昔はひらがなでしか認識せず、音からのイメージしか持てなかった語句が、漢字表記と少しばかりの背景知識によって、意味を伴い、くっきりと形を表してきます。ひらがなで理解し、子ども心に面白い音に感じられていた言葉が、生や死について深い真理を語っていたことに気づかされます。
物ごころつく前に亡くなった祖父の記憶は全くなく、にこやかな遺影の写真一枚でしか、私は祖父を知りません。それを小さいころから残念に思っていましたが、法要では久しぶりに顔を合わせた親戚から祖父の思い出を聞き、自分なりに人物像を描きました。エピソードもそうですが、日常の些細な言動について聞くと、生前の祖父に少しだけ近づき、そこにつながる自分が見えてくる感じがします。
亡き人を悼み、自分の生を省みる。
ご住職の言葉を、自分なりにかみしめています。
法要といえば、子どものころは正座に長い話と、それ自体が苦行のように感じていましたが、大人になってみると、違った感慨があります。
実家は曹洞宗で、「般若心経」には子どものころから親しんでいましたが、久しぶりにお経本を広げて読むと、昔はひらがなでしか認識せず、音からのイメージしか持てなかった語句が、漢字表記と少しばかりの背景知識によって、意味を伴い、くっきりと形を表してきます。ひらがなで理解し、子ども心に面白い音に感じられていた言葉が、生や死について深い真理を語っていたことに気づかされます。
物ごころつく前に亡くなった祖父の記憶は全くなく、にこやかな遺影の写真一枚でしか、私は祖父を知りません。それを小さいころから残念に思っていましたが、法要では久しぶりに顔を合わせた親戚から祖父の思い出を聞き、自分なりに人物像を描きました。エピソードもそうですが、日常の些細な言動について聞くと、生前の祖父に少しだけ近づき、そこにつながる自分が見えてくる感じがします。
亡き人を悼み、自分の生を省みる。
ご住職の言葉を、自分なりにかみしめています。