テレビのない生活
2010.03.04 Thursday 22:22
テレビを見なくなってしばらく経ちます。
もともと暇つぶしにドラマやドキュメンタリーを見る以外は、ニュースしか見ていませんでした。NHKニュースを朝、昼、夕方、夜と必ず見るのが習慣でしたが、赤ん坊には3歳ぐらいまでテレビを見せない方が、言葉や情緒の発達という面でよい、ということで、テレビ自体つけなくなりました。
ほとんど習慣のようにニュースだけはチェックしていたので、多少物足りなさを感じたこともありましたが、考えてみると、テレビというのは有無を言わせず情報が飛び込んでくるもの。痛ましいニュース、残酷な事件など知りたくなくても詳細に知らされることもあり、今は却って快適に時間を過ごせています。
若いころは、人間や世の中の醜さ、不条理さを吸収することも強さだと思っていて、遮二無二情報を求めたこともありましたが、今はそれよりも人生の明るさを心に刻みたいと思うようになりました。
テレビのない生活になってみると、テレビで急いで、慌てて知らなくてはならないニュースなど何一つないことに気付き、ゆっくりと生きている気持ちになります。
特に新潟のローカルニュースが知りたくて、たまに見ることもありますが、たいていは夜、寝る前の少しの時間に読む新聞で十分。テレビのない生活は息子がもたらしてくれた思わぬ副産物でした。
もともと暇つぶしにドラマやドキュメンタリーを見る以外は、ニュースしか見ていませんでした。NHKニュースを朝、昼、夕方、夜と必ず見るのが習慣でしたが、赤ん坊には3歳ぐらいまでテレビを見せない方が、言葉や情緒の発達という面でよい、ということで、テレビ自体つけなくなりました。
ほとんど習慣のようにニュースだけはチェックしていたので、多少物足りなさを感じたこともありましたが、考えてみると、テレビというのは有無を言わせず情報が飛び込んでくるもの。痛ましいニュース、残酷な事件など知りたくなくても詳細に知らされることもあり、今は却って快適に時間を過ごせています。
若いころは、人間や世の中の醜さ、不条理さを吸収することも強さだと思っていて、遮二無二情報を求めたこともありましたが、今はそれよりも人生の明るさを心に刻みたいと思うようになりました。
テレビのない生活になってみると、テレビで急いで、慌てて知らなくてはならないニュースなど何一つないことに気付き、ゆっくりと生きている気持ちになります。
特に新潟のローカルニュースが知りたくて、たまに見ることもありますが、たいていは夜、寝る前の少しの時間に読む新聞で十分。テレビのない生活は息子がもたらしてくれた思わぬ副産物でした。